花み屋のリアルとフィクション

花を観察している大学院生のフリースペース

とある農民の物語(前半)

 一人の老人がある宿で話し始めた。

 「私は北の方から来た。農家の次男として生まれ、五十年間畑を耕してきた。子供の頃から何か特別なことができたわけでもないし、今、このときまでに特別な経験をしたわけでもない。だから、これから私が話すことは何の意味もないのかもしれないが、私というつまらぬ人間の、年をとりすぎた老人の独り言だとでも思って聞いてほしい。

 

 山に囲まれた小さな村に私の家はあった。私の家はその村の大地主であったわけでもなく、むしろ、こぢんまりとした小さな農家の一つだった。それでも、私の家の畑や田んぼは家族全員を養うには十分なほどで決して飢えに苦しめられることはなかった。家のすぐ近くには村長の家があった。とても大きな家で、幼かった私は脇を通る度に首を後ろにそらせて眺めなくてはいけなかったことを覚えている。そこの家には二人の姉妹がいた。きっと村長は跡継ぎとして息子がほしかったに違いないが、あいにくその望みは叶わなかった。

 その村長の家と私の家が近所であったこともあったのだろうが、両家の主人は大変仲がよく、私の兄が大変賢かったため、彼は村長家に婿に入り、そこの長女と結婚した。その縁もあったのだろう。次男である私と村長家の次女もいつの間にか結婚する雰囲気となり、彼女は私の家に嫁に入ってきた。私の兄はすでに家を出てしまったので、事実上、私が私の家の何もかもを継ぐこととなった。私の妻となった村長家の次女は大変優しく、私とも私の家族とも気が合い、皆で過ごした時間はとても楽しかった。数年して長女が生まれ、さらに娘が一人、息子が二人生まれた。私は幸せだった。

 しかし、初春に生まれた次男が三歳になったその年の冬に死んでしまった。流行り病だった。その子は母親に連れられながら、私と一緒に畑に出るのが大好きな子で、いつも私の隣で笑っていた。そして、畑の様子がよく分かる子だった。まるで大根と話しているかのように、その脇に座り込んで、ここにいちゃダメなんだよ、と赤ちゃん言葉でもごもごと言いながらアオムシをつまんでは畑の外に運び出していた。あるときは、水がほしいんだって、と大根が話したかのように水が涸れかけていたのを教えてくれた。

 とても悲しかった。もうその子が畑にいるときの笑顔を見ることは叶わないということが。もう雨の日に畑に出られないことに対してふてくされた顔をも見ることができないということが。

 次男が死んだ頃の私は何もせず、ただ仏壇の前で座り続けていたらしい。私は何も覚えていないのだが、家族が話しかけてもまるで聞こえていない様子だったそうだ。妻も家族も私が後追い自殺をするのではないかとはらはらした、と言う。そんな状態からどうやって立ち直ったのか、私は覚えていない。しかし、人間生きていれば死んだ者のことは忘れることができるものなのだと私は思う。愛していた身内が死んだとき、人はその人が死んだことを忘れ、その人が生きていると心の中で思い込むしかないのだ。何年も経ってその人がいない生活が当たり前になって初めてその人の死を冷静に受け止められる。私もそうだったのだろう。」

 

後半へ つづく

 

岐阜高校 文芸部 部誌掲載(2010年 夏)