花み屋のリアルとフィクション

花を観察している大学院生のフリースペース

松 第1話

 智之(ともゆき)の家には、樹齢百年を超える松がある。家の南側に立つそれの、赤茶色の凹凸のある樹皮や緑色の針のような葉には、堂々とした存在感がある。智之は、自分の背丈を超えるその松が幼い頃から大好きで、大人の目を盗んで登ったこともあった。

 けれども、智之の両親はその松をあまり好いていない。母は、この家に嫁に来た身なので、元々愛着を持つ理由はないかもしれない。しかし、父は智之と同じように、この家で育ったはずなのに、松を嫌っている。確かに父は、元から動植物が好きではない人だったが、松を嫌う第一の理由は、父が自分の母、すなわち、智之の祖母を嫌いであるからのようだ。自分勝手で、頑固な一面があった、その祖母は松を後生大事にしていたのだ。智之が生まれたときには、既に祖父は亡くなっていて、その松の世話は祖母がしていた。優しい祖母が好きだった智之は、よく祖母の近くで松の世話を手伝っていた。それでも、中学、高校に入ると、勉強や友人との遊びに夢中になってあまり手伝わなくなってしまった。去年、大学一年生の夏休みに、久しぶりに、歳をとった祖母には無理な力仕事を一回したぐらいだ。しかし、何となく、幼い頃から、その松を見て育った彼は、それが一生そこにあるように感じていた。

 今年の冬、祖母は、持病の悪化により急死した。智之の父親は悲しそうな顔をするにはしたが、本気で悲しんでいるのではないように智之には思われた。

 半年後、智之の両親は松を切り倒し、家を増築することにした。智之は知らなかったが、両親はかなり前からその計画を立てていたらしい。智之は反対したが、気の強い両親にはまるで意味がなかった。

 夏のある日、松を切り倒すための業者が来た。智之は、危険ですから離れて下さい、と言う彼らの言葉を無視して、自分の何倍も生きていた松が目の前で切り倒されるのを瞬き一つせずに見つめていた。

 妙に生々しさを感じさせる幹の断面が広げられる。太陽を指していた、てっぺんの枝がだんだんと傾いていく。松の身体は最終的に重い音を立てて倒れた。そのとき、松は温かな夏の空気を含んだ風を巻き起こした。それは、まるで、すがるように智之の顔と身体を撫でていき、彼は眼を閉じて横を向いた。

 

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